翻訳業界にいて少し考えないといけないのは、他分野におけるような定説、成熟した議論から導き出された見解のようなものがそれほど多くないという点です。
なので、他業種や隣接分野の事情にも目を通して、「ここは似てるぞ」という部分を探すのは大切かなと思い、昨年の後半からそういう本を意識して読むようにしてきました。
今回の記事で紹介するのも、そうやって見つけた本の中の一冊。
ドキッとしちゃうタイトルですよね。
自分もドキッとして購入しちゃいました。
技術評論社
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レビューの場で自分の書いたものを他人から批判された場合、嫌な気持ちになりますか?
(この)質問に「はい」と答えた人は、自分が作成したものと自分自身に依存性があります。客観的に見ることがうまくできていません。このタイプの人は、自分の作成されたものを批判されると、自分が批判されたのと同じように感じてしまいます。このタイプの人にとって、レビューは恐怖の場です。自分をレビューされているのと同じだからです。
いかがでしょうか? ソフトウェア開発者に向けて書かれた文章ですが、翻訳の現場にもまるっと当てはまるのではないでしょうか? そして、ここで述べられている「依存」は、言葉というものを扱う翻訳ではより表面化しやすいのではないかという気もします。
IT 翻訳やそれをひっくるめた産業翻訳・実務翻訳の現場でも、文のリズム、たとえば読点の打ち方を非常に細かく指摘する方がいますが、読点ってある面、その人の呼吸なんですよね。
呼吸=文体、といってもよいですが。
読点の打ち方に以上にこだわる人は、要は、「俺の・私の呼吸と同じタイミングで呼吸せよ」という要求を行っている人に近いのではと勝手に思っています。
かくいう自分も、読点やリズムの面での違和感を感じやすい=自分の文の癖が強いタイプのレビュアーですが、そこがフィードバックの中心にはならないようにかなり気を遣ってはいます。
話が逸れましたが、翻訳した文章に対してフィードバックを受けることは、自分の呼吸、息遣いに対してフィードバックを受けるようなもので、最初はやはり辛いと感じる方も多いと思います。
でも、子離れや親離れならぬ、納品した翻訳との翻訳離れは、早くなった方がハッピーになりやすいと思います。荒井さん もこう書いています。
いったん作成したプロダクトを客観的に見ることができるようになると、とても楽になります。「そのプロダクトの品質と自分の価値は無関係」と考えれば、プロダクトに何を言われても平気です。むしろ、プロダクトの欠陥を検出できることを望むようになります。
(中略)
プロダクトに客観性を持っている人は、実際に納品するのはソフトウェアや設計書であって、作成した人を納品するわけではない、ということを理解しています。したがって、レビューでプロダクトの欠陥が検出された場合、その技術者の思考は「では、どうすればその欠陥や問題は解消できるのだろうか」ということに移ります。そこでいろいろなアイディアによる検証ができるのです。「どうすればよいのか」と考え、ディスカッションすることは、非常に創造的で楽しいものです。
これは完全に賛成です。
「非常に創造的で楽しい」、いわゆる「moment」がずっと続くことはないと思いますが、でも減点法になりがちな翻訳の現場で、加点法の一瞬を見つけ出せたとき、自分は大きな喜びを感じます。
そして、自分が加点法で評価されるグラウンドを見つけることは、収入の面でもプラスだと思っています。
ちょっと脱線気味でしたね。
『ソフトウェア開発で伸びる人、伸びない人』は非常に面白い本なので、「翻訳メモリを利用したいわゆる改定翻訳も、ソフトウェア開発者にとっての保守タスクと考えれば新しい見え方をするのでは?」というテーマで近いうちにもう一度触れてみたいなと思います。