翻訳学校などに通わずにローカライゼーション業界に飛び込んだ私が、初めて読んだ翻訳技術本が『英文翻訳術 (ちくま学芸文庫)』でした。
仕事帰りのファミレスで色んな翻訳関係のオンライン記事を読み漁っていた当時、ISSのコラムで成田あゆみさんが「初心者に(も)お勧め・英日翻訳の技法本3冊」の1冊目として挙げていたのがきっかけです。
英文翻訳の技法を網羅した本を何か一冊と言われれば、やはり同書をおいて他にはないでしょう。
名詞、代名詞、形容詞、時制、受動態、仮定法、話法、強調構文・・・などの文法項目の柱ごとに、受験和訳とは異なる英日翻訳ならではの表現方法を説明した本です。本書の最大の特長は、その体系性とバランスにあります。
体系性とは、名詞・動詞・形容詞といった主な文法項目の柱のほとんどを扱っていることです。
翻訳の技法を説明した本はたくさんありますが、このように文法項目を体系的に扱ったものはなかなかありません。いろんな意味でバランスがとれている点も、大きな特長です。
例えば著者は、シェイクスピアを研究する大学の先生なのですが、だからといって例文が文学作品に偏っているわけでなく、実務翻訳にも十分応用できる内容です。また、翻訳の技法を説明しようとすると、話が異常に細かくなりがちなのですが、そうなる一歩手前で説明を止めているため、さまざまに応用できる普遍性があります。
説明が偏執的でないのも、個人的には非常に好みです。
翻訳について説明した本のなかには、「あなたも翻訳家になれる☆」(この手の本は、たいていは著者との能力差を見せつけられて悲しくなる)、またはコメントが激辛だったり細かすぎたりして途中で挫折してしまう本が少なくありません。
そんななか、本書はそのどちらにも偏らず、絶妙なバランスを保っています。英日翻訳をすることになった人への「最初の一冊」として勧められる本です。
スクールで言うと、基礎科から本科に上がるくらいの時期に読むのが最も効果的です。
個人的には、特に仮定法の訳し方と名詞構文の処理に、とても感銘を受けたのを覚えています。
自分は読了後、時折手に取ることはあったのですが、正面からこの本に向かい合う機会は持てておらず、このブログ開設をきっかけにもう一度読み進めてみようと考えた次第です。
自分は今のところ誰かに翻訳を教える立場には立ったことはありませんが、翻訳のレビュアーとして日々フィードバックを行う立場として、翻訳を修正する背景をもう少し明確に言語化できるようになりたいと考えていて、それも『英文翻訳術』を読み返してみるモチベーションになっています。
そして、冒頭のはしがきからかなり刺さります。すごい。
翻訳という作業は、とにかく非常にこみいった、複合的なプロセスである。いろいろのレヴェルの判断を同時にくだし、総合的、多角的に処理してゆかなければならない。要するに、出たとこ勝負的な要素が非常に多い。だから、誰かに翻訳のコツを教えるなどというオコがましいことを始めてみると、どこからどう手をつけていいものやら、途方に暮れてしまわざるをえない。
こんなはしがきが書いてあったなんて、前回読んだときはまったく意識しませんでした。
これに似たことは、フリーランスの翻訳者の方にフィードバックを返していても感じるんですよね。
立場の違いもあるのかもしれませんが、フリーランスの翻訳者の方にはレビュアーからのフィードバックを強く受け止めすぎたり、他のあらゆる場面で適用可能な万能薬、魔法の鍵のように受け取る方が少なくないように感じます。
でも、おそらくレビュアーからの修正の提案って、その場その場の、ありあわせの技や判断で、大切なことは、そうした1つ1つの小技・ツールを自分のツールボックスに入れた上で、次に似た状況に出くわしたときに、「あのツールをここで使うべきかどうか?」という、ツールを使う一段階前の判断を行えるかだと思うんですよね。
そこが「(覚えたばかりの)ツールがある→だから使う」に短絡化してしまうと、あるレベルで翻訳の技量が頭打ちになってしまうのではないかと思います。
辞書で覚えた便利な訳語を、文脈を考えずに適用してしまうのも、これに近い状況ですね。
「いろいろのレヴェルの判断を同時にくだし、総合的、多角的に処理してゆかなければならない。」という部分を噛みしめながら、具体的な説明を読み返していければと考えています。