翻訳の話題においては、辞書や翻訳技法がいわば花形で、文法はどちらかといえば地味な存在かもしれません。
一方で、例えば翻訳者の成田あゆみさんは英文法の重要性について次のように述べています。
翻訳において必要な英語力とは、 「原文のすべての語の役割を、論理的に言葉で説明できる」 ということです。
ここでいう「役割」には、ある語が全体の中で持つ意味や、文脈の中での意味ももちろん含まれますが、ここであえて強調したいのは文法的役割です。
翻訳者は、英文法の知識があることが大前提です。
どんな海外経験があってもこの点には例外はないと、経験上断言できます。
文法の重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。
力強い言葉ですね。
全体の構想はあまり固まっていませんが、これから不定期で何回かに分けて、英日翻訳での誤訳につながりがちなポイントを中心に英文法に関わる記事を書いていきたいと考えています。
第一回目となる今回の記事では、佐藤洋一さんや成田あゆみさんが翻訳者に必要な能力について述べている内容も参考に、英日翻訳における英文法の重要性を確認した上で、IT翻訳の英文から力試し的な品詞識別の例題を紹介してみます。
- 1.そもそも翻訳者にとって必要な能力とは? 英文法は必要?
- 2.品詞識別の力試し:問題文
- 3.品詞識別の力試し:解答編
- 4.ニューラル機械翻訳の実力は?
- 終わりに:収束できる・閉じた学習事項としての文法
1.そもそも翻訳者にとって必要な能力とは? 英文法は必要?
ここでは佐藤洋一さんと成田あゆみさんが翻訳者に必要な能力について述べている内容を簡単に確認してみましょう。
1−1.佐藤洋一さんが述べる翻訳者に必要な能力
「実務翻訳の基礎を無料で学べるサイトといえばこれ: 佐藤洋一さんに学べ!」という記事でも紹介した『コンピュータ翻訳入門』から抜粋した図です。
シンプルかつ美しいですよね。
この3ステップの中でいえば、原文解釈(読み)の「真意を汲み取る」という作業で英文法は活躍するといえるでしょう。
1−2.成田あゆみさんが述べる翻訳者に必要な能力
佐藤さんの明快さに対して、成田さんの述べる内容はややウィットに富んでいます。
翻訳者を志す人が最も知りたいことの一つに 「いったいどのくらいの英語力があれば実務翻訳者になれるのか?」 ということがあるでしょう。
あえて先に答えを申しますと、
「原書で小説を楽しめるくらいの語学力があれば実務翻訳はできます。 ただ、日本語の運用力のほうがある意味重要かもしれません」
となるかと思います。
そして、「原書で小説を楽しめるくらいの語学力」とはどれくらいかをもう少し噛み砕くと
小説を楽しみながら読める程度の単語・文法的知識があること。
「この人は本当は何がいいたいのか」という言外の含みを読み取る力があること。
これらをクリアすれば、実務翻訳に必要な外国語能力はあると言えるでしょう。
ということになり、やはり「真意の把握」に通じるような文法的知識が必要だとされています。
ここでの成田さんの回答に込められた含意の全体像については、ご自身の「小学校帰国で、大人になってから英文法を叩き直した」経験も含め、かなり読み応えのある記事にまとめられていますので、是非元の記事で確認してもらえればと思います。
2.品詞識別の力試し:問題文
それでは、「原文のすべての語の役割を、論理的に言葉で説明できる」 状態への第一歩として、次の例文の品詞識別を行ってみたいと思います。
いかがでしょう? すらすらと各単語の品詞が判断できるでしょうか?
「XYZ」は製品名として固有名詞扱いとしてください。
また、今回ポイントでない箇所は先に答えを言ってしまうと、「up」は前置詞ではなく副詞、「whrein」も関係副詞(副詞)となります。
参考までに、Excite翻訳では「XYZデータは、XYZ DataNodesストリームデータが複数のバックアップホストに同時に塞ぐ平行したストリームにバックアップされる。」といった日本語訳が得られました。
ある程度品詞の識別に慣れている方なら次の段階まではすらすらと判断できるのではないかと思います。
そして、関係副詞 wherein の後なので「stream data blocks」のどこかに動詞が隠れているはずなのですが。。。
解答編に移る前に、品詞識別と合わせて、ざっくりとした訳文まで作成するとなおよいかもしれません。
3.品詞識別の力試し:解答編
さて、wherein の後続節の動詞は見分けられたでしょうか。
simultaneously が副詞であることから blocks を動詞と判断して、「同時に遮断する・ブロックする」のような意味に解した方も多いかもしれません。
そうすると、「XYZ DataNodes stream data」が長い主語ということになり、blocks と三単現の s がつくことまで一見整合性がつきます。
(data は複数形では?、という方はこちら→翻訳会社 | 山田翻訳事務所 | JeffのEnglish Tips| 第26回:「Data is」それとも「Data are」?)
しかし、この解釈では、通常他動詞である block の目的語、「何を」遮断するのかという部分が文章から欠落していることになってしまいます。
block を自動詞と捉える道も残されていますが、ここではあてはまりません。
いかがでしょう?
正解を述べてしまうと、実は stream が「XYZ DataNodes」を主語、「data blocks」を目的語に取る動詞だったんですね。
結構惑わされたという人も多かったのではないでしょうか。
4.ニューラル機械翻訳の実力は?
最初に挙げたエキサイト翻訳も含め、2018年1月30日時点での自動翻訳結果をいくつか紹介してみますね。
エキサイト翻訳
「XYZデータは、XYZ DataNodesストリームデータが複数のバックアップホストに同時に塞ぐ平行したストリームにバックアップされる。」
Infoseek 翻訳
「XYZデータは、XYZ DataNodesストリームデータが複数の予備ホストに同時にブロックする平行流れでバックアップされます。」
Weblio 翻訳
「XYZ DataNodesストリームデータが複数の予備ホストに同時にブロックする平行流れで、XYZデータはバックアップされます。」
各翻訳サービスともに、ことごとく blocks を動詞だと解釈してしまっています。
こうなると気になるのが Google 翻訳や Microsoft Translation などの最新のニューラル翻訳の精度ですよね。
次のような結果が得られました。
Google 翻訳
「XYZデータは並列ストリームでバックアップされます。ここでは、XYZ DataNodesはデータブロックを複数のバックアップホストに同時にストリームします。」
Bing 翻訳(Microsoft Translator)
「XYZ データは並列ストリームでバックアップされ、XYZ データはデータブロックを複数のバックアップホストに同時にストリーミングします。」
どちらも、stream が動詞であることがきっちり反映されたと感じられる訳文になってますよね。
正直、今回の記事を準備するうえで一番驚いたのはこのポイントでした。
いたるところで言われていると思いますが、ニューラル機械翻訳、すでにかなりの実力です。
終わりに:収束できる・閉じた学習事項としての文法
翻訳者にとって英文法は必要か?という問いから入って、 「原文のすべての語の役割を、論理的に言葉で説明できる」 状態への第一歩として IT 系の文章の品詞識別を行ってみました。
英文法には自信があるという方でも、stream が動詞であるという解釈にたどり着けた方は意外と少なかったのではないでしょうか。
これから、こうした誤りやすい・解釈ミスにつながりやすい文法事項を、翻訳技法や訳語選定の一歩手前の技術として少しずつ取り上げていければなあと考えています。
ここで、なぜ英文法なのかという部分をもう少しだけ述べると、五文型や品詞の分類が典型的ですが、文法では考えうるオプションの数が閉じているという点が翻訳学習上のポイントだと思います。
構文も、数自体は多いですが、閉じれる学習項目だと思います。
これに対して、単語ごとの語法であったり、辞書的な意味という部分は、オープンエンドですよね。
まだまだキャリアの浅い自分にとってこのオープンエンドの領域に踏み出すのは荷が重いかなというのが一点。
そして、網羅できる・収束させられる・閉じれる内容をしっかり閉じることが、翻訳者としてスタートラインに立つ一つの近道なのではという思いから、英文法としばらく付き合ってみたいと思います。