これまで、はしがき、序章、第1・第2章ときて、終章まで残り20章あるのですが、この第2章までが読み返すうえで有益かなということで、唐突ですが今回簡単なまとめを行って最終回とします。
第3章の無生物主語や、第10・11・12章の形容詞と副詞は、ほぼほぼ品詞転換の話だと思うんですよね。
また、第7・8章の関係代名詞は、ほぼほぼ「頭から訳しおろす」の話です。
第5章の人称代名詞の省略と、第13章の動詞の時制については、ちょっと好みが分かれるかなということで、論じてみる自信がないです。
第14・15章の受動態のところと、第18・19章の直接話法を生かす・掘り起こすという部分は単独でめちゃくちゃ面白いですが、実際に本を手にとって読むほうがよいかなと思います。ブログで付け足すことがないです。
他の章は演習などですね。
なので、これまでの3回の『英文翻訳術』を読み返すシリーズで整理できたことをまとめてみます。
・品詞転換などの個別のテクニックはオプション出しの道具。それに対して「頭から訳しおろす」や「英語を核文に開く=読みほどく」といった安西先生の主張は、この方針に従うことで、個別のテクニックが後から自然とついてくるような普遍性がある。
最初に紹介した通り、ISSのコラムで成田あゆみさんが
翻訳の技法を説明しようとすると、話が異常に細かくなりがちなのですが、そうなる一歩手前で説明を止めているため、さまざまに応用できる普遍性があります。
と述べているのは、ドンピシャですね。成田さん、すごい。
そして、品詞転換などの個別のテクニックは価値判断と切り離されているのに対して、「頭から訳しおろす」と「英語を核文に開いて日本語に翻訳する」という方針については、そうした方がよりより英日翻訳になりやすい、という価値判断が行われていることが特徴的でした。
これ、賛成できると思いますけどね。
・ただし、「頭から訳しおろす」などの翻訳の方針を、評価基準と誤解すると弊害が大きいよということは確認しました。
ある翻訳がよくないと指摘するときに、その理由として「頭から訳しおろしてないから」と述べるのは論理が転倒しています。
翻訳のよしあしは、原文の英語をどう加工したかという方法とは独立に、訳文自体(と英語との対応)で述べうるはずです。
また、「頭から訳しおろす」や「核文に開いて翻訳する」という方針は、そうすることでさまざまな個別の翻訳テクニックが自然と躍動しだす、そうしたメリットとセットになって主張されていたことも重要かなと思います。
ただ信じろ、とは違うわけですね。
うーん。品詞転換などの各種の翻訳技法がツールやアプリケーションだとしたら、「頭から訳しおろす」や「核文に開いて翻訳する」などの方針は、そうしたツールやアプリケーションを駆動するための基本OS、プラットフォームのような位置にあるのかなと思います。
是非、この機会に英文翻訳術を手に取ったり再読したりして、英日翻訳のOS・プラットフォームを導入・アップデートして頂ければと思います。